映画『エルヴィス』を観に行った。
気分を変えたいと思って行ったのに、余計に悲しくなった。
エルヴィス役の『オースティン・バトラー』の演技が素晴らしく、すっかり感情移入して最後には、オースティンなのかエルヴィス本人なのか、解らなくなった。
魂をふるわす、歌や音楽にやられてしまい、エルヴィスの寂しい最後を思って、涙があふれ、帰りに、うどんを食べたが、うどんをすすっているのか、鼻をすすっているのか、判らなくなった。
今回は、予告編の動画を観て、Wikipediaも読み込み、下調べをしてから映画館に行った。
私なりに、エルヴィスの人生がどういう風に運ばれていったのかを、頭にたたき込んでおいて、実際に映画ではどのように描かれているかを、観てみたかったのである。
私が生まれる前に既に、スーパースターになっていたと思うけれど、彼の事は、よく覚えていない。だから、どういう人物だったのかを、知りたかった。
でも、聴いた事のある曲、歌がたくさんある事に気がついた。ああ、そうだ!これが『エルヴィス・プレスリー』だったんだ!
映画の中、時代が過ぎてゆく描写で、『ケネディ上院議員暗殺』や、『キング牧師暗殺』のニュースが流れた時は、日本でも最近同じような事件が起きた事が思い出され、暗い気持ちになった。
エルヴィスのたぐいまれなるカリスマ性と、そのパフォーマンス。
彼は多くの人達を魅了したけれど、その名声の裏では、裸の自分をしっかりと支えてくれる人を得られなかった。
両親も含めて、実際にエルヴィスを守ってやる人が、誰も居なかったのが辛い!
怪演の『トム・ハンクス』により、マネージャー『トム・パーカー大佐』は憎々しい存在となっていたが、ああいうヤツに搾取を許す時代だったのか…。
もし、今の時代なら、どうなっていただろう。
いやしかし、あの時代だからこそ、彼は輝いたのだろう。
もちろん、今までもこれからも『エルヴィス・プレスリー』は、世界中の人々に愛される。
全世界中に、『エルヴィス・プレスリー』の『ものまね』を生業とする人が、八万人以上居るらしい。
けれども、『オースティン・バトラー』は、『エルヴィス・プレスリー』そのものだった!
映画の最後だけ、実は『エルヴィス・プレスリー』本人の声と『オースティン・バトラー』の声を合成してあったと後で知ったが、『エルヴィス・プレスリー』の実際のライブ映像も流れていて、本当に『オースティン・バトラー』が『エルヴィス・プレスリー』に見えたのである。
『オースティン・バトラー』の熱演で、素晴らしい映画となった。
2年以上をかけて役作りに励み、『エルヴィス』が憑依した『オースティン・バトラー』に、私なら『アカデミー主演男優賞』を差し上げるだろう。
映画はいつも、新しい感動をくれる。
本当にいいものだね、映画って…!