前回記事からの続き
テニス部で活動する中で、私は中学2年生になった。
最初の頃は、試合に出してもらっても、緊張し過ぎて力を発揮できなかった。
とにかく、場数を踏むしかない。
ダブルスしか無かったが、私は『後衛』専任。
ファーストサーブもセカンドサーブも失敗した時は、前衛の子に申し訳ないという気持ちで苦しくなったりしたが、緊張して普段の力を発揮できないのは、つまらない。
この頃から特に、どんな場面でも実力を発揮するためには、どうすれば良いのか、考えながら生きることになった。
そうして、一学期の終わりが近づく頃(だったと思うが)、3年生のキャプテンから呼び出された。
「次のキャプテンを、あなたにやって欲しい」と、先輩!
驚愕!!!
「いえ、私なんかには無理です!」
「でもほかに居ないのよ」と先輩。
「でも、Hさんがなるものとばかり…。Hさんは前から、すっかりその気で、男子のキャプテンから資料を預かって、他の部員に配ったり連絡係をしたりしてますよ」
「そんなん知らない。何も頼んでないし…」と、先輩。
「だいたいあの子達、校内の廊下で会っても、全然知らんぷりやし。挨拶してくれるの、あなただけだったのよ」と、先輩。
へえーっ、そうだったんだ。
そこも意外だった。
目上の人には敬意を払い、礼儀正しく、挨拶はこちらから…みたいな事は常識だと思ってた。部活においても、先輩・後輩の区別は当たり前。他校はもっと厳しいところもあると聞く。
みんな、普通にやってるとばかり思ってた。
いやこれって、私がおかしいの?
軍隊経験のある、大正生まれの厳しい父親に抑えつけられて育ったせい?
結局、引き受けることになった。
それからだ。
同学年では、私とMさん以外、練習に出て来なくなった。
それで、なぜ来ないのか、一応聞いて回った。
Hさんは「体調が悪くて医者に運動を止められている」と。
ある子は「塾がある」とか、「今日は映画に行くから」とか、はっきりしない言い訳だったけど、こちらもそれ以上は何も言わなかった。
Hさんが、キャプテンになりたかったのになれなかったという思いを抱えている…、それは解っていたから。
しばらく放っておいて、下級生も含め、Mさんと練習に励んでいたら、1ヶ月くらいした頃だったか、パラパラと練習に戻ってきた。
私達は何事も無かったかのように、また一緒に部活をするようになった。
以降、『テニス…中学時代の悶々③』に続く。