私は、時々ひとりでカフェに行く。
二十代の頃からの、『たしなみ』である。
と言うほどの立派な話ではなく、きっかけは、ただ家に居たくなかっただけの話なんだけど…。
最近、何かの記事で、「行きつけのカフェの会計時に、『いつもありがとうございます!』と言われたのが原因で、次からそこへ行けなくなった。」って話を読んだ。
それに私は、とっても共感してしまったのですな。
実は私も、何年か前に、似たような経験をした。
ある日の仕事終わりに、同僚から誘われて、帰りに職場近くのカフェに立ち寄った。
そこは、あんまり広くはないが、ちょっとシャレた感じのインテリアの割には、客層を選ばない、入りやすい雰囲気の店だった。
マスターは高齢の男性だったけれど、ウェイトレス共々、あっさりとした対応で、客が何時間居ても気にしていないようだった。
かと言って、学生とか変な客が長時間、隅で居座ってるとか、常連がたむろしているとかいう事もない。
それで私は他の同僚から、話聞いてなんて言われた時にも利用したりして、まあ2~3回使ったかもしれない。
それからしばらくして、用事で近くまで行った時、一人で入ってみた。
奥の席が空いてる…。
腰をかけ、コーヒーとワッフルを注文した。
前回、同僚と来た時に食べたワッフルが、とても美味しかったので、また食べたくなったのである。
その日は、普通だった。
またしばらくして、同僚と訪れた。
その時、ドリンクだけしか注文していないのにも関わらず、マスターが運んで来たのは、ドリンクと『8分の1(くらいの大きさ)にカットされたワッフル』!
「いつもありがとうございます!これはサービスです!」と言って…。
私と同僚は、「ええーっ?スミマセン、ありがとございますぅっ」と言いながら、私は心の中で、「あ・あ・あ…もうダメ!ここにはもう来られない!」とつぶやいていた。
実際、それ以降は行ってない。
「なんで?」「何でもう行けないの?」って、フツーの人は思うかもしれない。
これを解ってもらうのは、難しいかなあ?
例えばあの後、ワッフルのサービスを受けた後に、また行ったとする。
「この前は、ありがとうございました!」なんて言うだろ、たぶん…。
そうすると相手も何か言う。そしてそれは、次回以降も続く。
つまり、『なじみ』の客となって、いちいち行くたび社交辞令、もしくは世間話の類いをせねばならない。
想定外のサービスを頂いた事には、感謝致しております。
けれども、新しい人間関係が欲しいとか、ムショーに誰かと話したいとか(いや、そういう時は友人とか知人を誘うでしょ?)、どこかのコミュニティに入れて欲しいとか、そういうものを求めて行くのではない、少なくとも私の場合。
ただし、ひとりで行く時は、って意味。
もうここには来られない、と思ったら、次から誰かと一緒であっても使わないけど。
カフェの人が悪いのでは、全く無い。
こちらの問題。
だから、『ひとりになりたい』ということでありますよ。
じゃあ、家で一人で居れば?って言われそうだけど、そうじゃなくって!
家に居ると、日常から離れられない。
カフェに行けば、美味しいコーヒーと、心地よい音楽とサービス、居心地の良い空間に浸ることができる。
そういう空間で、ひとり読書をしたり、イヤホン付けてスマホで好きな動画を観たりする、つまりは『自由な孤独』になりたいのである。
ひとり、もし大きな砂漠の真ん中に放り出されたりしたら、そんな孤独は怖いし耐えられないと思う。
けれど、『社会』の中に確かに居ながら、特別に構われる事のない、ぬくぬくした(クーラー効いてる夏であっても)空間で、好きな事に思いを馳せる自由という、やすらぎ感!
これが欲しいのだ!
だから大抵、私の場合は、仕事で疲れた時や、人と関わる事で神経すり減らしたとか、あるいは、何日かどこへも行ってない、とかいう日に、気分転換のために行ったりする。
そういう訳なので、カフェには、他の客に対するのと同様に、淡々といつも通りの心地良いサービスをして頂ければ…と願う。
これって、そんなにワガママな話じゃないよね?
でもひょっとしたら、母体の胎内に居る時の感覚に似ているものを求めているのかも?って思ったりもする。
覚えてないけど・・・。
(最近、書き始めると長くなる…という症状が、ひどくなりつつあります。)