Sapphiresan's blog

人生は楽しむべきもの

幸せそうでホッとした!

前職の同僚に、偶然会った。

いつものショッピングモールで通路を歩いていた時、突然肩をたたかれ振り向いたら、そこには懐かしい可愛い笑顔があった。

「◯◯さん、お久しぶりです!」(〇〇=私)

「ええーっ、Nさん?うわ~っ、久しぶりー!元気だったーっ?」

と、私達はまるで女学生のように、手を取り合うようにして再会を喜んだ。

もう何年ぶりだろう。

私があそこを退職して以来、である。

「お子さんができたのよね?」と言うと、一瞬意外そうな顔をしたので、「ほら、LINEのプロフィール画像に出てたから…」と説明したら、「ああ、そうなんです!」と嬉しそうに微笑んだ。

変な言い方だけど、前より大人びて、シュッとした印象だ。

今、二歳になる子どもを保育所に預けて、ご主人の家業を一緒にやっているらしい。

今日は平日の休みなので、夫婦で買物に来たと言う。

そう言われるまで、気づかなかった。

私達から、4~5メートル離れた所で、ご主人が待ってくれている。

軽く会釈を交わし合った。背の高い、真面目そうな優しそうな感じの方。

 

でもまだ話が終わってない。

私が近況を語り、LINEを見て「ああ、お子さんが生まれたんだなあ、良かったなあ!」

と思ったこと。

でも、新婚で育児に仕事に奮闘中で大変だろうと思って連絡は、しなかったこと。

でもずっと心配で、気にしていたんだよ。今日は会えて良かった!幸せそうで安心したよ!

そんなふうに、気持ちを伝えた。

 

確か、私が退職する1年くらい前に結婚され、ささやかな気持ちばかりのお祝を差し上げた事があったけれど、私が退職する事を伝えたら、素敵なお餞別をくださり、自分も翌年の年度末に退職する予定だと言っていた。

だから、その後どうしてるかなあ、と気にかけていたのだけれど、連絡するのは控えていた。

なぜなら、私と彼女の年齢差は優に20歳を越えていて、話も合わないだろうし、家庭の事で忙しくしているのに、わざわざお茶に誘うのも、疲れさせるだけなんじゃないかと、気が引けたのである。

早婚の彼女の母親より、私の方がずっと年上だったし、私と彼女はまるで親子か、ひょっとしたら、孫と祖母?に近いかも?

 

そんな私達が、親しく話すようになったのは、仕事の担当が替わる時だった。

私の受け持ち部署が変わり、当時まだ新人だったNさんに引き継ぎをする事になったのだけれど、二十歳になったばかりの、小柄で幼さの残る可愛らしい笑顔を見て「大丈夫かな?」と、ちょっと心配していた。

だからそのあと、職場内の廊下で見かけた時などに「仕事大丈夫?泣いてるんじゃないかと心配してたよ」なあんて、冗談めかして声をかけたり、仕事の事で教えて欲しい事があると連絡が来たりしているうちに、ちょくちょく時間外にも話すようになった。

本人は仕事を覚えて、しっかりやってるようだったけど、職場の内情や愚痴や事件(?)について、帰りに時々話す事が増えたのに、いつも礼儀正しくて控えめなので、良い人と結婚が決まったと聞いた時は、私も嬉しかった。

ただ、職場のクセ強の人にも優しくしていたので、振り回されるんじゃないかと心配してもいたが、それは杞憂だという事が、あとで判った。

 

Nさんは、母親が働いていたので祖母によく面倒をみてもらっていた、自称「おばあちゃん子」で、高校時代はバスケットボール部で活躍し、当時も休日に仲間と体育館を借りてバスケを続けており、結婚相手はバスケ部の後輩男子だという。

つまり、ずいぶん年上のクセ強女性の扱いにも慣れており、何より実は「バリバリの体育会系」だったのである。

あどけない笑顔の小柄な若い女性を「なめたらいかんぜよ!」ということか…

 

知らない人が見たら、八方美人と言うかもしれないが、彼女からは誰もが、暖かい誠実さを感じているようだった。

誰に対しても「嫌な気分にさせたくない」みたいな、ポリシーがあるようにも見えた。

 

だからこそ、私は彼女に悪い印象は無かったにも関わらず、退職後のお礼の挨拶以降、LINEもしなかったのである。

遠くから幸せ祈ってるよ、というスタンス。

 

在職中、私はNさんのことを面倒見てるって、そこそこ思っていたけど、実際は違っていたのかもしれないと気づいたのである。

そう…

「お守り=おもり」してもらっていたのは、私の方。

だから、退職した後までお守りさせるのは悪いな、と…

そういう事。

 

彼女には、同世代のバスケ仲間が大勢居るし、全く大丈夫!

幸せ祈りながら、そっとしておこうと…

 

まるで自分の子どもの、巣立ちを見送るような気持ちに近いかも?

 

そうしてこの日、彼女の幸せを確信した私は、いろんな意味で心の底から「勝手に」ホッとしたのだった。