Sapphiresan's blog

人生は楽しむべきもの

テニス…中学時代の悶々⑤(最終)

 

【テニス…中学時代の悶々④】からの続き

 

いよいよ、3年生の二学期が始まった。

中学生最後の対外試合を意識して、いつもより練習に熱が入った。

私は後衛だから、特にサーブの練習。そして、Hさんはボレーの練習に力を入れた。

私は帰宅してからも、家の狭い庭で素振りやボールつきをしたりして、試合に備えた。

でも、こんな時に、ある不安が押し寄せて来た。

「また、緊張し過ぎて失敗するんじゃないか?」

2年以上前の、初めての試合時の惨憺たる状況が思い出されて、日に日に苦しくなった。

あれから経験も積んで、だいぶましにはなってたが、何よりペアを組んでる前衛の子に対する罪悪感というのは、半端ではなかった。

私はもう、あんな思いをするのはごめんだと思った。

ペアの相手、Hさんに惨めな思いをさせるのはイヤだった。これが中学最後の試合の思い出になるんだ。

私は、特に宗教を信仰していた訳でもないのに、試合の前夜は、「どうかHさんに恥をかかせる事が無いように…。そうして、できますれば、当校女子テニス部の誇りを示す事ができますように…。」と、天に祈った。

 

そうして、試合当日。良い天気だったが、風が強かった。

まず、1回戦。相手は、異常に「ヘタ」だった!

自ら、ミスを連発し、あっと言う間に、こちらの勝ちとなった。

そして2回戦。これも相手側がミスを連発して、勝手に自滅した。

私とHさんは、何が何だか判らないうちに、勝ち進んでしまった。

そして、いつのまにか準々決勝。(記憶が定かで無いので、準決勝だったかも?)

もう夕暮れが近づいて来て、他の部員は試合が終わり、私達の試合を観に集まって来ていた。

とにかく風が強かった!

風上では、ドライブを効かせて力を加減して打たないと、すぐにラインオーバーで、アウト!

風下では、思い切り打たないと、風に抑えられて、ネットも越えられない。

もう、風の事しか考えていなかった。

気がついたら、ゲームは、ジュース、ジュースの接戦で、フルセットの戦い!

私はあの時たぶん、一種の「フロー状態」だったのではないかと思う。

結局、2点差で敗れたけれど、私もHさんも達成感に包まれた、最後の試合となった。

付き添ってくれていた顧問のS先生が、「みんな今日は良く頑張ったね!先生がラーメンをおごるよ!」と、部員全員のそれぞれの親に、電話で説明してくれて、私達が美味しいラーメンを食べて帰ったのは、楽しい思い出だ。

 

こうして私達3年生は、部活から引退した。

しかしある日の下校時、校門へ通じる通路を歩いていると、すぐそばにあるテニスコートで変な光景を目にしてしまった。

2年生でキャプテンになったBさんらが練習している。だけど、ふざけながら、遊びながら、ラリーをしたり、ラケットを放り投げたりしている。

後日、副キャプテンのTさんとYさんに様子を聞いてみた。

すると、「ただダラダラと休みながらラリーしたりするだけで、練習にも勝手に出て来ないこともある」「Tさんが、意見を言っても取り合わない」など…。

私は投票制で次期キャプテンを決めた事を、後悔した。

けれど、引退した後のことだから、手出しもできない。

 

それから3年生引退後、初めての県大会があった。

その次の日だったんだろう、3年生の教室フロアに、TさんとYさんがやって来た。

廊下で聞くと、何とふたりは、ダブルス個人戦の「優勝」の報告に来たと言う!

ええーっ?と言うより先に、涙が出てきた。

この弱小テニス部が?

他校からバカにされてきた、当校女子テニス部員が「優勝」?

…とにかく嬉しかった!

それをまた、わざわざ私のところに直接、言いに来てくれたなんて!

涙が溢れて仕方がなかった。

「そんなに喜んでくれるなんて…」と言って、TさんとSさんが私の背中をさするようにすると、余計に涙は止まらなくなり、そんな様子を同級生がジロジロ見ながら通りすぎて行った。

 

私が、卒業間近に聞いた話によると、Bキャプテンのやり方に納得がいかない副キャプテンのTさんは、休部する事にしたと…。

私は、思いっ切り後悔した。

あの時、私の独断で…、いや部の伝統を素直に引き継ぎ、何も忖度せずに次期キャプテンを指名したら、それで良かったのだ。

 

無理に流れを変える必要は無かった。

直感を大切にすれば良かったのだ…今になって、そう思う。

 

私の人生後悔リストの上位で、長く心に残ることとなった。

 

 

            

 

 

 

長々と書いてしまいましたが、ここまでお読みくださった方々に、心より感謝申し上げます。