(つづき)
教本をパラパラとめくり、見覚えのある曲を選んで弾き始めた。
と言いたいところだが、弾けない!判らない!
音符が判らない!この記号は、なんだったっけ?ドレミの「ド」は、どこの鍵盤を使うんだっけ?ええーっ?
楽譜が読めなくなっていた自分に驚愕!!
必死に目をこらし、頭を凝らし、譜面と鍵盤を交互に見ながら悪戦苦闘!
すると段々思い出してきた。
何となく指使いも思い出してくる。
右手と左手を、最初は別々に練習し、遂には両手で楽譜どおりに弾く事ができるようになった。
調子が乗ってきたところで、突然息子がドアを開ける音に気づく。
時刻は予定の1時間終了まで、なんとあと5~6分になっていた。
息子が心配して、「あと30分なら延長できるって、受付の人に聞いたんだけど、延長しようか?」
「う、うん」と小声でうなずくワタシ。
そうしてその30分も、アッと言う間に終わってしまった!
楽しかった!
本当に久しぶりに、楽しかった!
どんなに下手くそでも、どんなに間違えても、誰も見ていないから全然恥ずかしくない。どんなに初歩的なミスでも幼稚なやり方でも誰にも何にも言われない。
だから、勇気を出して、全く平気で鍵盤に向かうことができた!
こんな便利な施設があるなんて、さすが東京。
地元にもあれば、時々利用したいな、と思うくらい。
息子は、私が両手で弾いているのを垣間見たためか、「すごいな!右手と左手両方で弾けるなんて…すごいなあ!」なんて言ってる。
息子よ、二歳の君を連れて離婚した、ウン十年前の私には余裕が無くて、昼間の音楽教室に君を通わせる事ができなかったんだ。ゴメンな!
だから、これくらいで「すごい!」なんて、思うんだろうな。
それなのに君は、母にこんな楽しみを与えてくれるのか…
申し訳ないやら、嬉しいやらで、ホテルに向かう電車の中、膝の前に置いたキャリーケースの上で、さっきの曲を指で弾いていたが、次第に目がしらが熱くなり、指が見えなくなった。
ただ、あとから思いついたんだけど、もしかしたら君は、実は母親が「怖い!」のでは?
とーっても怖いから、機嫌を取っておかないと、大変なことになる!?とか?
ひょっとして、ひょっとしたら、まさかまさか、「うちの母はピアノが上手」とか?
「ピアニストになれるはずだった、不運の人!」とか、カン違いしてるんじゃあ?
ピアノの教本と言えば「赤バイエル」から「黄バイエル」と進み、その次とは言え、「ブルグミュラ-教本」が、「初心者のためのピアノの教本」などと言われている事を、息子は未だ知らない・・・・・たぶん。